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本展趣旨

復帰35周年 沖縄県立美術館開館記念関連イベント

「写真0年 沖縄」展


何を撮るか、誰を撮るか、どこで撮るか、いかに撮るか……といった写真行為をめぐる根源的な問題がもっとも苛烈に問われる場所のひとつが、おそらく沖縄かもしれない。そして、「撮る」を「見る」「展示する」に置換すれば、それらの写真を見る・展覧するという営為も、同様の試練を受ける。その場所に/から、写真なるもののもつ可能性をあら
ためて浮上させる試み──「写真0年 沖縄」。

戦世、アメリカ世、大和世。現在も無縁ではけしてありえない、その過酷な歴史と地政学のただなかで、沖縄をめぐって写真はどのようにかかわりをもってきたか、そして今もちうるのか。さまざまな視線にさらされ、また自らの眼差しを探していた沖縄。「本土による沖縄」(オリエンタリズム?)でもなく、「沖縄による沖縄」(自閉症?)でもなく
──としたときに、では、いかなる方途があるのか?

沖縄在住の写真家比嘉豊光、1970年代から沖縄に関わりつづけてきた東京の写真家浜昇、そして75年から80年までのコザの米兵の歓楽街を撮り続けた北島敬三──70年代の沖縄で出会ったこの3人の写真家の当時の作品とあわせて、本展では、現在進行中の作品も並列展示する。それらの写真に写された、沖縄と本土、70年代と2007年、顔と風景、自然と人為……それらが交叉、交錯、スパークし、あるいはすれ違いをみせるとき、現在時において、ふたたび私たちは写真と出会い直すことができるのかもしれない──その「場所」に私たちは賭けたい。

この3人展にくわえ、現在沖縄・東京それぞれで活動している若手写真家たちによる展覧会を同時開催するのは、その賭金の現在/未来を問うためにほかならず、また、イメージに応答する言葉を触発──それもまた賭けだろう──すべく、多数論考をふくむカタログを刊行し、期間中には本土・沖縄の論客によるシンポジウムの開催も予定している。

沖縄にとって写真とはなにか、写真にとって沖縄とはなにか、そして写真とはいったいなにか。この問いを開くための、出発点・原点・現在 ──「写真0年 沖縄」。

at 21:42, 写真0年 沖縄展実行委員会, 本展覧会について

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